Soyブログ

2025年8月15日 金曜日

みよし美容室 豊田市美容室

さてさて今日から営業開始します。
終戦の日なので、戦時中の美容師さんはどうだろうと調べていてなるほどなぁと。ちょいとまとめてみました。

終戦と美容師 〜髪を整えることは、心を整えることかなぁとツラツラと。

今年で終戦から80年。
当時の日本は、街も暮らしもゼロからのスタートでした。食べる物も、着る物も、住む場所さえ足りない中、美容師という仕事も大きな転機を迎えます。

戦争中にパーマ機やドライヤーは金属供出でなくなり、薬剤や化粧品もほとんど手に入らない。
それでも不思議なことに、人は髪を整えたがります。

理由は、ただ「見た目のため」じゃないんです。
当時の人にとって髪を整えるのは、ほんのひとときでも“日常”を取り戻すための小さな儀式でした。


焼け跡の中の美容室

終戦直後の街には、瓦礫のそばでハサミを持ち、お客様の髪を切る美容師の姿があったそうです。
お金の代わりに、米や野菜、着物での物々交換。
電気も安定せず、自然光の入る窓辺で髪を切り、手巻きのカーラーでパーマをかける。そんな簡素な道具でも、お客様は帰り道、少し背筋を伸ばして歩いていったといいます。


美容室は人が集まる場所

戦後の美容室は、髪を整えるだけじゃなく、情報交換の場でもありました。
近所の様子、配給のこと、家族の安否。
お店の椅子は、まるで地域の“井戸端”みたいな存在で、美容師はお客さんの話を聞く聞き役でもありました。


「きれい」は希望になる

物がなくても、髪を整えると「まだやっていける」って気持ちになれる。
戦後すぐの結婚式や成人式は、美容師にとっても一大イベントでした。
その日のために精一杯きれいに仕上げることは、お祝い以上に「未来を信じる時間」だったんです。



80年経っても変わらないこと

今はあの頃みたいに物資が不足しているわけじゃありません。
でも、美容師の役割は案外変わっていない気がします。
髪を切りながら世間話をして、悩みを聞いて、外見だけじゃなく心も整える仕事。
美容室は今も昔も、人と人がつながる大切な場所です。

焼け跡でハサミを握ったあの日の美容師たちの想いは、きっと今も私たちの手の中に生きています。
「美」は飾りじゃなく、生きる力。
これからも美容師は、地域と一緒にその力を届けていくんだと思いました。

今は大病を患った方が退院の日に
気分転換にとご来店頂いたり。
形は違うけど。

美は生きる力で…それをサポート出来るいい仕事だなぁと。

楽しい営業開始です。

写真は母校、山野美容専門学校の
山野愛子先生の自伝からお借りしました。
学生時代は現役でしたから…懐かしいです。




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投稿者 Soy hair&relaxation

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みよし市三好丘旭3丁目2-2
最寄駅 三好ヶ丘
駐車場駐車場あり
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